加藤和彦さんと、ちゃんと応援すること

先日、加藤和彦さんが亡くなられ、遺書の一部を読み、
さらにさとなおさんのブログを読んで、今日は「応援する」ということが頭から離れません。


加藤さんの遺書のなかに、こんな言葉があったそうです。

  一生懸命音楽をやってきたが、音楽そのものが世の中に必要なものなのか、
  自分がやってきたことが本当に必要なのか疑問を感じた。


加藤さんのことは特別ファンというわけでもなく、
「フォークルの人だよね…」と知識として知っているレベルでしかないけれど、


二十歳過ぎのころ、この先どんな風に働きたいのか見えなくて
大学に泊まり込んで課題にとりくむ夜中、缶コーヒーを買いにキャンパス内を歩いているとき
よく口ずさんでいたのが加藤さん作曲の「悲しくてやりきれない」でした。
私にはこの歌が支えだった時期が確かにある。
だから、今更だけど「あなたのやってきたことは必要だったんです!」と伝えたい。


音楽に限らず、モノの作り手と受け手の距離はひどく遠いことが多いから、
もっと意識的に、言葉にして伝えてもいいんじゃないか。
もちろん直接伝えられれば最高だけど、
幸い、いまはインターネットという物理的距離をゼロにできるツールもある。


例えば、パルシステム(生協)から月に一回うちに届く牛肉は毎回すごくおいしい。
でもそのことを生産者に伝えたことはないし、多分普通はわざわざ伝えようと思わない。
普通よりやや高い牛肉を「買い続ける」こと自体、生産者への応援とも言えるだろうが、
さらに一歩進めて言葉にしたらどうだろうか。
「誰かが伝えているだろう」と思っても、案外作り手には伝わっていないかもしれないから。


ブログを書くことも、応援を言葉にする行為の一つかもしれない。
時々なんでブログ続けてるんだろう?と思うことがあるけど、
自分が見聞きして、素敵だと思ったものを、ただ応援したいのかもしれない。
そして、このブログを読んでくださっている皆様、いつもありがとうございます。
応援してもらえるから、私もまわりを応援できるんだと思います。