他者が他者であること

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他者が他者であること(宮城谷昌光)


面白い :☆☆☆☆
感動した:☆☆☆
役に立つ:☆☆☆
薦めたい:☆☆☆


宮城谷さんの一番新しいエッセイ集。
とはいえ、収録された文章の最も古いものは1990年発表です。

 1、湖北だより(お住まいの浜名湖周辺に関するもの)
 2、中国古代の構図(小説作品に関する執筆秘話的なもの等)
 3、カメラ(雑誌「日本カメラ」連載のエッセイ)
 4、他者が他者であること(表題作の他、様々な文筆家、映画等についての文章)

の四部構成になっています。


カメラについての一連のエッセイを、特におもしろく読みました。
今月、わが家に初めてのデジタル一眼がやってきましたが、
主人も私も今のところ、オート機能にまかせてシャッターを押しているだけ。
(それでもコンパクトカメラとは違う写りに、単純にすごーい!と興奮しています)
なので、カメラについては、今ちょっぴり興味があるのです。


かつては「自分の小説を他人に読んでもらうことが大嫌い」だったそう。
写真のほうはというと、
コンテストを見て、これが入選するなら自分もいけるだろうと応募を始めたそうです。


自分が「これは」と思った写真を雑誌に投稿して、
で、選に漏れると、コメントもつかずただ返却されるだけ。
容赦のない他人の目にさらされ、なぜ入選しないかを考えるうちに、
カメラとフィルム感度、光の状況別のデータをフィルムを何本も使って作ったり、
写真を客観的に見るために、撮ったものをすぐに応募せず寝かせてみたり、
モデル撮影会の必勝作戦を立ててみたり、といった試行錯誤が書かれています。


その格闘の末に、
他者とは、自分とは全く別の人間である、ということを理性ではなく経験を伴って理解し、
そしてそれから写真を辞め、小説に改めて取り組み、評価されるようになった。
「カメラ」の章の直後に
「他者が他者であること」の一文が置かれているのは、そういうことだと私は読みました。
写真という「寄り道」は、寄り道ではなく本筋だったんですね。
宮城谷さんの小説で、主人公が世に出るまでの部分が長いことが多いのは、
ご本人のそういう経験からも来ているのでしょう。


それにしても、
撮った写真が暗かったりゆがんだりしてても
Photoshopで直すからいいや!」と思っている私、反省しなさいね。。。
これじゃいつまで経ってもいい写真は撮れそうにないです。


あと、モデル撮影会やヌード撮影会に臨む宮城谷さん、ってのが正直想像つかない!

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